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まちえんの活動記録

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07 3月17日「下河辺さんを囲む会2007」に参加

まちえんメンバーが、小田原市政策総合研究所所長の後藤春彦さん、、山崎さん(まちえん関西支部長)、田口さん(まちえん日本海支部長)が関わった「下河辺さんを囲む会2007」に参加しました。
日時 2007年3月17日
場所 早稲田大学理工学部

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第1部でお話くださった松代の香山さんです。第1部では、北海道の東川さ、岩手の土澤、隠岐の海士町、そして長野の松代といった、鈴木輝隆先生推奨の「元気なまち」が紹介されました。

 写真甲子園で知られる東川では、美しい風景を守りながら、新たに育ててゆくために、マイホームやアパートの建設助成にまで踏み込んで、定住者を少しでも増やそうとする努力が実を結びつつあるとのこと。無味乾燥な婚姻届や出生届などをアルバムに仕立てて送るなど、「記憶に残る人生が送れるまち」が育まれているようでした。

 街かど美術館 アート@つちざわを展開する土澤。萬鐵五郎が生まれ、その美術館もある町で、2005年から町全体をギャラリーに見立てたイベントが行なわれています。日曜には1日50人しか通らない商店街などを舞台にしながら、1か月1万人以上を集めてしまったイベントです。合併でどんどんおおきくなる自治体とは別の次元、幼い頃からともに育ってきた仲間と手を結べば、町を少しでも変えられるという手ごたえを感じました。 

 エコール・ド・まつしろを進める松代は、最近まちえんも取り組みはじめた遊学――遊んで学ぶ大人の学校を、かなりのハイレベルで実践しているところです。産業化の波に取り残されたことで逆に今、徳川時代の遺産が輝きはじめているとのこと。たとえば雛祭りでも、旅行パックを組み、手拭などのグッズもつくると、徹底して「遊学産業」の可能性を掘り下げていました。TMOや文化財制度といった国の施策をふくめ、もてる手段を総動員して「遺産」に投資を集中する判断と合意が、おおきな役割を果しているように感じました。

 そして隠岐の海士町。町長のもと人口減と財政難に悩む町が一丸となって、島に残された遺産をいかにして資源化するか、今まで松阪牛の元牛になっていたものを隠岐牛としてブランド化する、そこでは塩害のもとだった潮風をも逆手にとってブランド化にいかす。。。一橋大学の学生を取り込んだり、上海のマーケットに乗り込んだり、あえてグローバル化の荒波に船出しながら、町の未来を切り拓こうとしているようです。
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第2部はいよいよ、下河辺淳さんとの禅問答。前回の封印談義から10年ということ以上に、2000年前後から明らかになってきている、地球温暖化と一部先進工業国での人口減少を、「宇宙現象」として位置づけるとどうなるか、という視点が示されました。下河辺さんはこの二つの現象は無関係ではなく、人間意識が少し変わったからといってどうなるものではない、と大きな問題提起をされました。

同時にそれはネガティブにばかり考える必要もないと下河辺さんは言います。なぜならたとえば日本で21世紀人口減少が続いたとしても、それは19世紀の徳川時代の水準に戻ることであって、20世紀の爆発的な人口増こそが高度経済成長の時代であり、またその負の遺産で今悩みが深いとすれば、人口減はそれを解決する糸口になりうるというのです。

その意味で下河辺さんは、これからの少なくとも20年を担ってゆく、現在の30代が何を考えているのか、深く聞き出したいと切り出されました。

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こうした下河辺さんの問題提起を受けて討論したのが、封印談義に参加した3人。写真の小布施の市村さん、内子の岡田さん、そして湯布院の中谷さんでした。3人からは下河辺さんのおおきな問題に対する補助線がいくつか示されました。

ひとつが、まづ自分の足許に、しっかり知に足をつけよう、という視点です。たとえば中谷さんはそれを集落であり家族であると。その足許の価値は20世紀音を立てて崩壊してしまったが、人間がただ存在するだけで価値を与えられるのは、実はこの足許でしかない、そこで充実した生を送れることこそが幸福の源泉であると、強調していました。

もうひとつが、アメリカや東京を介さない世界とのつながりです。市村さんはたとえばそれを、量ではなく質によって価値を共有できるつながりだと言っていました。量的な視点からみれば、ものすごく非効率な山間地域の産物も、質でいえばどうか。水、農のもの、どれも別な価値を生むし、またそれを認める人びとは、世界的な広がりでみれば決して少なくないと。

最後に下河辺さんから、「地域」ではなく「国」という意識のススメがなされました。地域というと中央・東京との関係がつねに意識される。現に東京に集中しているのは、職業分類でみるとマスメディアとエンターテインメントだけで、そうしたメディアによって、地域像もまたグローバル社会のイメージもつくられている。しかし今求められている「宇宙現象」という視点、1000年単位でモノをみる視点からすれば、こうしたイメージや、あるいは東京という存在、近代100年のさまざまなシステムは、相当相対化される。

そのとき浮かび上がってくる、たとえば徳川時代について考えると、人びとは自分の住みかを「地域」ではなく「国」と考えていた。今日のこの日のような会も「お国自慢」の会であって、中枢の幕府やメディアは、それらを集めて人びとにまたフィードバックする、そういうシステムが存在していた。

「国」では「地域」とちがって、そこに住むひとりひとりが、何を考え、何をするのかが、問題になってくる。そうした意識こそ、今の30代のひとりひとりに求められている。30代が全体でどうかということではなく、同世代や上の世代をすべて否定するような、はねっかえりの30代のひとりひとりが考えればいいし、そして行動してほしいと、若い人びとにエールを送られていました。

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第3部の司会をする田口さん。第2部で大先輩を前にテーブルを仕切られていた山崎さん。お疲れさまでした。

エールを送られた30代の一人としてひとつだけ。今この宇宙に生きることを意識したとき、手がかりにしている言葉があります。メキシコの社会学者イヴァン・イリイチの言葉。
――Joyful Sobriety and Liberating Austerity歓びに満ちた節制と解放する禁欲
これを彼は共に生きることConviviality(Conは共にVivreは生きること)の作法だと言っています。節制することそのものが歓びであり、禁欲することで逆に世界が広がる生き方。それは遠い夢でも理想でもなく、下河辺さんのいう宇宙現象の今を本当にみすえたとき、自ずと導かれる生であると。

小田原での千年蔵構想も、その手がかりをつかんでいると信じています。「なりわい」はその手がかりのひとつだと想います。こうした考え方に出逢えた自分の風土とそこに生きる人びと、そして研究所から応援団のみなさんにあらためて感謝するとともに、これをどうカタチにして、そして後の世に伝えてゆくのか、自分なりに考え、ひとつづつ残してゆくつもりです。
by machien2 | 2007-03-17 13:33